6月22日 礼拝
訓読み言:天聖経 「真の神様」編 第4章5節より
「統一教会は神様解放のための解放軍です。世界解放ではありません。世界解放は容易です。人間が団結すれば世界解放はできますが、神様の解放は心情圏を団結させなければなりません。愛の圏を団結させることのできる原理と思想体系を備えなければなりません。そうして霊界を解放し、地上に心情圏の橋を架けなければなりません。どんな革命よりも恐ろしい革命です。困難な革命です。ですから人類の解放は容易でも、神様の解放は困難なのです。世界にまたとない困難なその仕事をレバレンド・ムーンが旗手となり、今日摂理史の総決算という表題を掲げて進み出たということは驚くべき事実です。
今日の宗教指導者はひれ伏して祈祷をして恵みを受けようとしますが、私は恵みを与えてくださいと祈祷したことはありません。「私一人が祭物となって神様を解放しよう」と祈祷したのです。旧約時代は万物を立てて神様の人を探し求めるための時代であり、新約時代は息子、娘を犠牲にして父母を探し求めるための時代であり、成約時代は今まで父母様の家庭を犠牲にして神様を解放するための時代です。
神様と真の父母を解放し、世界を救うために進み、地獄を貫かなければなりません。地獄の底を貫いていけば天国です。これを知らなければなりません。それが近いのです。地獄の底を貫くのです。ですから犠牲になり、奉仕せよというのです。「私が救われるために統一教会を信じる。この道を行く」というのでは零点です。それでは絶対に世界舞台には立てません。「神様を解放し、真の父母を解放し、世界を救うために私はこの道を行く」と言わなければなりません。分かりましたか。内容が違うのです。」
説教:「神様の解放者」
(要旨)真の父母の生涯は、神様との約束を成就してきた生涯であった。行くべき道が死の道であったとしても、真正面から向かって行かれた。2013年1月13日までに成就しなければ神様も真の御父母様の解放もありえず、我々の、全世界人類の解放もありえない。世界解放は簡単であるが、しかし神様の解放というものは心情圏が一つにならない限りにおいては成されない。実質的に2012年までの摂理成就の為の出帆の日が、意味的6月21日の大会である。この重要な期間、我々は天と焦点を合わせ約束を成就しなければならない。
岐阜教区においては大垣と各務原において責任を全うすることが出来た。これは我々一人ひとりの全員の責任である。いかに重要な摂理でも、心情的な相対圏を成せなければ勝利することが出来ない。昨日岐阜教会では祝福式があったが、参加者の中には数日前に真の御父母様を知った婦人がいた。しかしみ言葉に感動していたがゆえ、なんとしてもご主人を連れてこなければならないという決意のもと、絶対行かないといっているご主人をなんとか連れてきた。式典が始まって主礼の説教が始まってもなかなか入場しなかったが、婦人が説得し続けながら1時間くらい過ぎたあと、なんとかネクタイを締めるようになった。そして聖酒式がはじまる3分前、やっと前に来てほかのカップルと共に参加するようになった。表情も相当ほぐれ、40日聖別も始めることができるようになった。まさにみ旨は人がするのではなく霊界がするものであるということを実感する出来事であった。
闘えば霊界が動員される。み言を十分理解しているわけでもない婦人が一点の決意をもって闘ったゆえ、霊界が働いて勝利することが出来た。我々もこの期間、一家庭の祝福を成すために闘っていかなければならない。今日は岐阜において先に霊界に行かれた先輩方の氏名を前方に掲げております。霊界の協助と共に勝利していきましょう。
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7月1日午前5時、岐阜教会聖殿に40名ほどの教会員が集う中、「第18回七・一節」敬礼式が行われた。聖歌、家庭盟誓、代表祈祷、敬礼のあと、教区長によるみ言訓読(1991年7月1日第1回七・一節時のみ言より)と説教があった。以下要旨。