6月1日 礼拝説教要旨

08/06/08日

6月1日 礼拝説教要旨

カテゴリー: 一般礼拝 — admin @ 14:00:12

ある家族がいた。3人家族であったが毎日争っていた。また、ある9人家族があったが、3世代家庭で笑い声が絶えなかった。3人家族の主人が9人家族の主人に、「どうして9人も住んでるのにいつも仲良く生活しているのか?」と尋ねた。9人家族ではたとえば、家の中で誰かが水をこぼしてしまった。お母さんは「すいません私がかたづけなかったので・・・」といっていると、おばあさんが「いやいや私が気がつかなかったから」と言ってきた。するとおじいさんが「いやこれは私のせいである」と言っている様子であった。そのように互いが自分の責任であるとして言い合っている。9人家族の主人が、「うちはみな馬鹿で足りないものの集まりです」といった。3人家族の主人は大きな悟りを得て自宅に帰った後、わざと水をこぼしてみた。すると奥さんが「あなた何やってるの!」というと、子供が「また喧嘩がはじまるのかよ」といってワーワーしていた。主人が「9人家族はこうこうこうであった。うちもそのようにしよう」と言うと、奥さんと息子は「フン、自分だけしなさい」と・・・。
我々の家庭はどうか。教会はどうか。どのような心で生活しているであろうか。立派な人たちや偉い人ばかりが住んでいれば一つになれないが、不足な人たちが住んでいれば一つになる道がある。幸福というのは相手を尊重しながら暮らしていくなかで生まれてくる。信仰生活で人よりも優れているという傲慢があれば間違いであると言わざるを得ない。もっと謙遜にもっと尊重する心があれば和合し一体化できる道がある。
幸福の道は遠いところにあるのではなく、すぐ近くの私たちの家庭の中にあるもの。神様はエデンの園にアダムとエバを中心として完成された家庭を作るはずだったが、それが出来ず今日まで真の家庭を探して来られた。一つの家庭を探すための今日までの摂理。
最高のVIPが配偶者、家族ではないか。自分の自尊心があるゆえ、すぐ隣の夫、妻と一つになれなかった。目をつぶって静かに手をつないで下さい。この人が自分にとって最高のVIPであります。今まで自分というものがあり、自分が立派であると、自分がもっと優れているとして争って喧嘩して勝ったりした内容、勝ったからといってそれが何の意味があるでしょうか。今全てのものを整理して、最も自分にとってVIPである相手と一つになるという祝福を成就していくべき。相手が何を望んでいるかということをまず考え与える姿勢。教会では信徒を「食口(シック)」と言います。真の父母を父母とした大家族であり、全人類が一つの家族を目指して歩んでいく人々である。食口同士、立派である優れている、そうでないとして、永遠なる生涯に何の利益となるか。食口も互いがVIPとして尊重し愛し合う。「私の責任です」というのがアベルの心情。この世界でも一般会社でも同じである。私たち全員が謙遜なアベルの心情を持って、この6月も歩んでまいりましょう。

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