4月13日 礼拝
春にどんな種を撒くかによって1年の収穫が決定される。ただ種を撒くのではなくどのような種を撒く人生か考えなければならない。より幸福となる種。一日一日撒いた種の結実が1年後10年後あるいは霊界に行ってから現れてくる。
信仰者は、そうでない人に比べて、ものの見方、考え方の次元が違う人である。心の違いが外的にも全く違う結果として現れる。たとえば10個のりんごがあって、そのうち一番悪いものから徐々に選んで食べていく人と、10個のりんごのうち一番良さそうなものから食べていく人がいるとすると、最初の人は一番悪いものを9回食べ、後の人は一番良いものを9個食べたことになる。同じ事柄でも、考え方や見方によって全く違った内容として現れてくるといえる。
すべての人が一日24時間1ヶ月1年一生という限られた時間圏内で生活しているが、どのような心を持って生活しているだろうか。心から願い、恋しがる心で生活しているか、それとも習慣で仕方なくやっているのか。仕事をするにおいても、食べていくための仕事としてやっているのか、あるいはその仕事を通してより高い価値や喜びを実現しようと新鮮な心でやることが出来ているか、この違いは大きい。
聖フランチェスコが夢を見た。広い雪原に2つの足跡があった。それは自分と神様のものだった。しかしある区間は足跡が1人分しかなかった。フランチェスコは神様に「神様は私が辛い時どこかへ行って、どうして私1人にさせたのですか」と聞いたら神様が、「それはお前が辛く大変な時、私がお前をおんぶして歩いていたんだよ」と。
信仰者は物事への見方を変えて行かなければならない。父母の目ですべてをみて判断していくべきである。夫婦も横的な兄弟のような立場であれば互いに争うようになるが、父母のような目線を持てば争うことはできない。父母の心ですべてに接し、生活圏で幸福の種を撒きながら、今を未来の希望と共に過ごすならば喜びを発見することが出来る。落胆することがあったとしても今からが出発である。我々は日本においても世界においてもこれから更なる新しい出発をしている。
この春、父母の心情で未来に向かって希望の心で種を蒔き、秋にすばらしい収穫を成すことが出来る皆様となって下さることを願いながら、今日の説教を終わります。
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